せめて、死ぬまでに千冊は

ぼんくら下積み労働者の読書ブログ。

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新庄耕『狭小邸宅』(集英社)

狭小邸宅狭小邸宅
(2013/02/05)
新庄 耕

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 学生時代好きだった本を忘れ、好きだった映画が名画座で上映されても見に行かなくなる。かつては寸暇を惜しんで、演劇に通いつめたり、旅にでていたのに、休みになると「疲れたから温泉にでもいこう」と言って、漫然と過ごす。学生時代の自分が嫌悪していたこんな「大人」を鏡で発見、愕然とする。

 学生から社会人になってしばらく経つと、大なり小なりこんな体験をする。
 
 一流大学を卒業し、「なんとなく」就職活動をし、休みが一日もなく体罰が日常茶飯事な、「ブラック企業である」住宅販売の会社の営業マンに就職した本作の主人公の同じようにやるせなさを感じる。

 「会社で働きはじめ、アパートには寝に帰るだけの仕事一色の生活になると、愛着のある物が日々の生活の中に一切入り込まなくなり、気にも留めなくなった。そして今、何の躊躇もなく、それらを不要だち口にしている、いつの間にか自分の感覚のいくつかが摩耗し、それまで気に入っていた物事に関心を持てなくなっているらしいことに気づいた。
 このままずるずる行けば、あらゆることに好奇心を持てなくなるような気がする。何に対しても感動しない抜け殻のような自分がすぐそこにいる。体と金さえあれば、たしかにどうにかなるのかもしれない。しかし、いずれ訪れようとしている虚無を想像すると、その粋がりも崩れ落ちた」(P85)

 「単に」働き、単に「稼ぎ」、「単に」生きていく。自分の喜怒哀楽を徹底的に欠いたそんな「単なる労働者」としての生活はまっぴらごめんである。生々しい「ブラック企業」の描写とともに、こんな若者らしい問題意識を主張されれば、最近はやりの若者のリアルを描いたロスジェネ小説として、喝采を浴びそうなものである。例えば、朝井リョウ『何者』のように。
 だが、本書がそれらの作品と一線をかくしているのは、そんな「単なる労働者にはなりたくない」という若者の自意識のグロテスクさを容赦なく、ついている点である。

 「お前らは営業なんだ、売る以外に存在する意味なんかねえんだ。売れ。売って数字で自己表現しろ。いいじゃねえかよ。わかりやすいじゃねえかよ。こんなにわかりやすく自己表現できるなんて幸せじゃねえかよ。売るだけだ。売るだけでお前らは認められるんだ。こんなわけのわかんねえ世の中でこんなにわかりやすい方法で認められるなんて幸せじゃねえかよ。最高に幸せじゃねえかよ」(P81)

 「自意識が強く、観念的で、理想や言い訳ばかり並べたてる。それでいて肝心の目の前にある現実をなめる。一見それらしい顔をしておいて、腹の中では拝金主義だ何だといって不動産屋を見下している。家ひとつまもとに売れないくせに、不動産屋のことをわかったような気になってそれらしい顔をする。
 お前は、自分を特別な存在だと思ってる。自分には大きな可能性が残されていて、いつか自分も何者になるとどこかで思っている。俺はお前のことが嫌いでも、憎いわけでもない、事実を事実として言う。お前は特別でも何でもない。何かを成し遂げることはないし、何者にもならない。」(P91)

 単なる労働者とは違う、「何者」になりたい。その気持ちは実は、自分のおかれた状況を相対化するだけで、他者とは違う「者であるかのように」見せようとする矮小なナルシズムではないのだろうか。このように「若者のナイーブな自意識」の正体を告発する。

 無限の相対化プロセスに逃げず、自分が「単なる労働者としての生産性」しか他者から評価されるべき基軸を持たない「かつて自分が見下していた凡百の『大人』」に過ぎないことを一度認めたところからしか、自分の人生ははじめられないのではないか。うすうす自分がかつて思い描いたような「何者」でもないことに気づきながら、もはや「何者に憧れること」や「何者であると信じ続けること」から降りられなくなり、苦しんでいる若者にこう処方箋を提示する。いつしか、私たちは主人公のようにある種の説得力に茫然としてしまう。

 もっとも、悪意たっぷりのラストシーンでこの正解らしきものもまた見事に否定されるのだが、それさえも現実を一つの「見解」を暗記することで舐めるなというメッセージに呼応しているように思う。

 著者自身は、住宅販売営業ではなく、友人の経験談をもとにこの小説を書きあげたという。同世代の若者が「そうありたい」と願う観念に安易に迎合するのではなく、「現実を舐めずに」、現実を描写する。今後も冷徹な見巧者としての視点で、身も蓋もない様々な社会の実相を描き切ってほしいものである。
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  1. 2013/05/08(水) 01:21:48|
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