「生温かいお酒の蒸気をふりまいて、売子がやってくる。黒革ジャンパーの兄ちゃん風のとうさんが『おう』と、めざましい声をあげて呼びとめ、ホットウイスキーを二つ買い、友達の赤ジャンパーのとうさんに一つ奢った。おでんとうどんとソーセージの匂いに、ウイスキのー匂いが混じる。うしろの席で袋をまわし食べしているポプコーンの匂いも加わる。『サーカスには匂いがあるんだねえ』と娘が言う」(「後楽園元旦」P130)
武田百合子のエッセイを紹介しようとすると、こんな風に文章をどんどんと書き写してしまう。
情景がリズムよく、描写され、書き写すているとまるで著者が横で話しているかのような楽しさを感じるからだ。
本作に収められている14編のエッセイは、表題のようにすべて食べ物をテーマにしている。だが、完璧な食べ物描写に引き付けられていると、著者は次々に、食べ物の周りの情景や、その情景の背後にある世界そのものへと観察を広げていく。戦前の幼少期から、戦中の青春記、戦後の老年期に至る、様々な人生のシーンが印象的な食べ物を端緒として語られていく。
捉えた時代や食べ物は様々で、語り口はいつものユーモアにあふれているのだけど、どのエッセイにもひやっとさせられる瞬間がある。それは、食べ物の周りの情景を通じて、「死」の匂いがかすかにただよってくるからだ。
例えば、戦中に闇ルートで手に入れた牛乳を友人と飲んだ記憶について書かれた「続 牛乳」の描写。
「私と同じ所に勤めている山本さんが、闇の牛乳を一升持ってきてくれた。
肩まで牛乳が入った青色の一升瓶を枕元で揺らして見せると、青く透けた首の方まで白く濡れ、それが元通りになかなかならない。象牙をとろかしたような、特別に濃い牛乳なのである。父はせからしくどもって、『お前の友達なら、綿を上げたらどうか』と指図した。納戸の奥に、買いだめた脱脂綿が、まだあった。
(中略)
水筒の牛乳を代わる代わる飲んだ。ときどき思い出したようにサーチライトが二、三本、黒い丘のむこうからのび、だるそうに、しかし素早く西南の空を舐めた。
『ずーっと此処にいるつもり?』『わからない』『将来について考えたことある?』よく考えたことがないような気がするから、いま考えようとした。すると、これから先、生きていれば、必ず毎月毎月使うであろう、おびただしい嵩の白い綿と、使用済みの沢山の赤い綿が浮かんできた。」(P31)
完璧な文章というものが、もし仮にこの世にあるとしたらこういう文章のことを言うのだろう。私は、何度もノートにこの文章を書き写した。
私たちは、「死」がかすかに匂う日常の中で、それでも「生」をもとめ、ものを喰う。そして、死をかすかに意識しながら、喰らうとき、食べ物は格別の快楽を提供する。
ものを食う時、著者は自由に「生」と「死」のイメージを行ったり来たりする。食う事について語るということは、実は、きわめて哲学的な行為なのである。
スポンサーサイト
- 2012/12/11(火) 16:39:14|
- 食べ物
-
| トラックバック:0
-
| コメント:1
タクシードライバーを対象とした、ノンフィクションは媒体を問わず意外に多い。元から完全歩合制の不安定な給与体系に加え、いわゆる小泉改革での規制緩和のあおりをうけ、その労働条件は日増しに悪化しているという。多くの作品は、折からの「派遣労働者問題」とセットでこれらの問題を告発する、という趣旨のものだ。
本書も「そういう風な」読み方をすることは可能である。ページのどこを開いても、タクシー運転手稼業に対する怨嗟の声に満ちている。だが、類書と一線を画しているのはどこか「そんな悲惨な自分の状況」というものをひょうひょうと客観視しているからだ。
「係官が勝ち誇ったようにきびしい目付きになって得々と説教している。この男がかつて同じタクシー運転手だったとは信じがたい。語るに落ちるとはこのことだろう。乗車拒否や不当料金の真の原因が何であるのか、タクシー運転手の労働の内実がいかなるっものであるのか、といった切実な問いが彼の肉体からは欠落していちた。私は柔順になっていた、むしろ私はこの男の説教に耳を傾けるべきだと思った。なぜなら、彼は私に説教し、私を導くことによって、小役人となった自らを体現しようとしているのだ。彼はやっと、タクシー運転手から脱出できたのだから」(P66)
「年末になるとこの種の乗客が増えてくる。総決算の月であると同時に、人間にとっても日ごろの鬱積した憤懣がいっきょに爆発する月でもある。その格好の相手がタクシー運転手になるわけだ。それではタクシー運転手はいったい誰に対して憤懣をぶちまければいいのか」(P183)
最底辺の職業であると、タクシー運転手としての自分を突き放すことによって、本書は告発ルポを超える大きな収穫を得た。
70年代・80年代の、サラリーマン・水商売・学生といった様々な人々の生き方を常に「下から目線」で眺める。
人がタクシーにのり、ほっと一息をつく。そして「最底辺のタクシー運転手」にふと自分の素顔をさらす。著者は、その素顔を逃さず書きとめていく。
本書は、バブル前夜の「時代の記録」であるといえる。
- 2012/12/09(日) 07:50:36|
- 金・働く
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
園子温監督による映画『冷たい熱帯魚』で取り上げたらたことで、再度注目を浴び出した1995年の愛犬家連続殺人事件をモデルにしたノンフィクション・ノベル。
実際の事件をモデルとしたノンフィクションは多数出版されているが、本書の特色は何よりも、実際に連続殺人事件に「共犯者」として巻き込まれ、死体遺棄などに携わった当事者による告白という形態をとっていることである。後々、ゴーストライターの存在が明らかになり、ゴーストライター名義で同内容の本も出版されている。しかし、「俺があの山崎だ」という冒頭からわかるように、徹底して贖罪意識を持たず、一人の悪漢として、被害者加害者について実名で語った本書の迫力には及ばない。
『冷たい熱帯魚』では、死体を風呂場で骨とサイコロステーキサイズの肉片に解体する、加害者の妻が鼻歌を歌って死体を解体する、生首を見せて驚かすといった主犯・関根元の常識離れの行動が多数描写されているが、本書を読めばそれらが映画の演出などではなく、全て真実だとわかり、驚かされる。何よりも、映画中で私たちを魅了した関根元役のでんでんのけれん味たっぷりの強い台詞も、映画監督による演出などではなく、中卒で文字の読めない関根元が実際に語ったものだという事に強い衝撃を受けた。
「人間は必ず死ぬ。昔は人生50年て言ったもんだ。人間の死は、生まれたときから決まっていると思っている奴もいるが、違う。それはこの関根元が決めるんだ。」(P67)
「あいつ、いい死に顔だったよな。考えてみれば奴も一番いい時期に死んだってわけだ」(P90)
「俺は世界最高の殺し屋だ。他の奴らは殺すだけで手いっぱいで、あとはキョロキョロしながら穴掘って埋めるだけだ。埋めたって骨はいつまでも残る。俺はしたいを完全に透明にする。殺しのオリンピックがあれば、俺は金メダル間違いなしだ。オリンピックは参加するだけじゃ駄目なんだ。勝負ごとはやっぱり勝たなききゃな」(P214)
「これで三十五人目が終わった。俺は邪魔だと思ったら、そいつを殺す。俺の前に立ちふさがる奴は全員殺す。大久保清はただの馬鹿だ。ベレー帽を被りながら何人殺ったか知らねえが、あいつは死体を全部残してる。あんな馬鹿死刑になって当然だ。その点、俺は完全犯罪主義者だからな」(P221)
少なくとも7人を殺害したといわれる関根元の本書の中に大量に蓄積されている台詞をどんどん引用したくなってしまう。関根の殺人哲学は「異常」であり、「悪」であるのは論をまたない。だが、一切自己弁護をせず、「悪」を貫くことを決意した台詞がある種の魅力にあふれ、人を引き付けることも事実である。
関根に巻き込まれ、「共犯者」として死体遺棄などに協力した著者も、関根を激しく憎みながらも、どこか彼に引き付けられるものを感じている。
「一審の判決文を読んで、俺は『期待可能性』という言葉があることを知った。わしかにその通りだ。逃げようと思えば逃げられたし、警察に駆け込むことだってできた。でも、逃げようという気は俺は一切なかった。最初の脅し文句が効いていたし、あの恐怖は体験したものしか絶対に分からないはずだ。裁判所の安全な椅子に腰かけて他人に勝手な期待をかけるのも結構だが、俺は知ってるつもりだ。仮に関根に脅されたら、真っ先にあらゆる可能性を投げ出すのは、むしろそういう連中なんだ」(P77)
「あのまま沼田インターで下りていれば、恐らく事件はそこで終わっていたはずだ。それなのに俺はどうして検問を避けたりしたんだろう。高速隊員の姿が見えたからだ。そうとしか言いようがない。それは一つの条件反射だ。裁判官はこの点を重視して俺に実刑を食らわせたが、考えてみれば人生なんて一瞬の判断の連続じゃないか」(P138)
常識外の世界に生きる関根を憎みながらも、著者は裁判官・検察・マスコミといったものにより激し敵意を向ける。
自分の「常識」だけで判決を下し、自分が異常の世界に落ちることに想像を決してめぐらせない裁判官。なんとしても出世するために、司法取引を持ちかけ、著者に土下座までする検事。かつて関根が次々の繰り出すホラに好んで騙され、ペット界の寵児として関根をもてはやしたマスコミ。生活にどこかさびしさを抱え、関根に癒された被害者となった愛犬家たち。
関根を異常と見る、これらの人びとも、また関根と同じような「自己保身」「他者の利用」という「悪」に染まっていた。彼らの関根が違うのは、関根がどこまでも自らの悪に自覚的であったのに対して、彼らは自らの「悪」を自覚することなく、のうのうと平和な市民のような顔をしている。関根の共犯者であり、意図しないうちに彼の哲学に「感動した」著者はその無自覚を本能的に憎んでいるのである。
平凡なブリーダーであった著者は、たまたま関根と巡り合い、「一瞬の人生の判断」で戦後史に残る連続殺人事件の共犯者となった。もしかして、日常を生きる私たちも、自分たちが思っているほど、「悪」や「異常」とは隔てられておらず、日々その境界線をふらふらと歩いているのかも知れない。
- 2012/12/05(水) 02:40:21|
- 犯罪・殺人・事件
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
少し前のことだけど、新しい教科書を作る会や首相靖国神社参拝問題を契機として「歴史観論争」というのがあった。
「自虐史観」や「天皇史観」やあまり品のいいとは言えない単語が、左右両陣営から飛び交った。私はそれをプロレス的に楽しむことはしたのだけれども、いまいちその論争に乗り切れないでいた。
というのは、「自虐史観」でも「天皇史観」でもいけれど、歴史を一つの整合性のある物語やフレームで断罪していくやりかたにどうもインチキくささを感じていたのだ。
でも、こんなことを言うといつも「相対主義者」だとか「シラケ世代」だとかの批判を、左右のどちらかの陣営に属する人々からなされ、どんどん疲れてきた。
そんな時、著者の山口昌男の次の文章に出会った。
「教科書型の勉強と、カタログ型の勉強の二つのスタイルがあるとすると、私の場合は文句なしに後者に属する。教科書型は与えられたものをそのまま消火する能力であり、後者は選択型であるといえよう。本を読む愉しみの大部分は、ある本が前提とする知識の目録を作るというところにあるのが、私の長い間試みている本の読み方である。文献を通して、こちらにとっては未知の一つのシステムが浮かび上がってくるのに出会う驚きは新鮮なものであった」(『知の旅への誘い』P130)
本書では、このような姿勢で「昭和史」が読み説かれていく。
「東方社や名取の活動が国内よりも国外を意識していたために、戦争を超えたグラッフィク・アートの国際的コミュニケーションの環の中で活動したこと、および戦争協力富絵里ものは、実は芸術の自己表現の手段として戦争遂行の状況にかかわりを持つにいたったことが確認された。つまり、これらの人たちは、昭和モダニズム、20年代アバンギャルディズムの成果を充分に吸収して、力を出し始めた時に戦争という逆の祝祭状況の波に捉えられてしまった。そこで、波乗りのごとく、遂行母体の宣伝というメディアに対する無智と自信不足を逆用して、乗り切ったというこが言えるのではないか。」(上・P119)
「こうした人々に焦点を当てて見ると、戦後何度か論じられた戦争と芸術家・知識人とかかわりの問題に、これまで我々の視野に入ってなかった光源が見えてくることにはりはしないだろうか。
これまでこの種の論議は常に勝者か敗者かの二者択一の視点から行われる傾向にあった。そして、政治、イデオロギーの線を中心に見る傾向にあった。
しかし、今や状況は一変している。日本においては、昭和初年の都市民の夢、モダニズムの栄光と悲惨、プログラマテックな合理主義が実現されようとし、変形を加えられる過程として、戦前昭和の精神史が解読されることが切に望まれている。」(上・P123)
教科書から漏れた「挫折した人物」を追っていくことで、私たちが「歴史」から消去した歴史の一面が浮かび上がってくる。
大東亜戦争の肯定・否定といった、結論ありきのカラオケ的歴史論議を離れ、この時代に「歴史と対話」する一つのモデルケースを本書は示している。
- 2012/12/03(月) 01:11:13|
- 戦争とその記憶
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
本書は、若い学生を対象とした講演であるように、「若者のための学問論」として読まれるべきだ。
執拗なほど、時代を問わず「若者」が学問に向かう際のありがちな誤りを諫めている。
「とにかく、自己を滅して専心するべき仕事を、逆になにか自分の名を売るための手段のように考え、自分がどんな人間であるかを『体験』で示してやろうと思っているような人、つまり、どうだ俺はただの『専門家』じゃないだろうとか、どうだ俺のいったようなことはまだだれもいわないだろうとか、そういうことばかり考えている人、こうした人々は、学問の世界では間違いなくなんら『個性』のある人ではない」(P28)
「こんにち、一部の青年たちが犯している誤りは、たとえば以上のような議論にたいして、『それはそうだろうが、しかしわれわれはただの分析や事実の確定ではないなにかあるものを体験したくてて講義に出ているのだ』というふうに答えるばあい、かれらは講義者のなかに、そこにかれらに対して立っている人ではない別のある人ーつまり教師ではなく、指導者ーを求めていることになるのである」(P57)
若者は個性的でありたいと考える。若者は、地道な知識ではなく、すべての問題を一挙に解決する物語を求めている。若者は、誰かに自分を導いてほしいと考えている。
かつて、個性的でありたいと思い、一挙に解決する物語の爽快感を求め、自分を導いてくれるだれかを探し続けた私にはヴェーバーの指摘は嫌になるぐらいわかる。
このような姿勢で、「学問」に向かうとき、私たちは何かを「学んで」いるのではない。あらかじめ自分の心の奥底で「そう言って欲しい」と思っていることを権威ある教授の口から言ってもらえ、満足しているに過ぎない。
ヴェーバーが冒頭で、アメリカ型として批判した、教授が学生の機嫌を取らなくてはいけない、学生消費者主義は今日の日本の大学で花開いている。
それは就職予備校化を意味する産学提携であったり、現場の声を聞くと称した著名人の客員教授としての招へいであったりする。お客様たる学生は、自分の要望にそったこれらの「学問」を心から歓迎するため、問題は決して顕在化しない。
しかしながら、このような高等教育を修了した人々が、驚くほど島宇宙化した興味を抱え、社会に出ていく姿を見るにつけ、「有能な教師たるものがその第一の任務とするべきものは、その弟子たちにとって都合の悪い事実、たとえば自分の党派的意見にとって都合の悪い事実のようなものを承認することを教えることである」(P53)というヴェーバーの言葉を思い出す。
- 2012/12/01(土) 22:41:44|
- 考える技術
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0